1953-03-12 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号
もう一つは、北多摩郡におりますところの某という長年帰還を待つております母親のところに、満州の鶴岡炭鉱におりますところの未帰還むすこから、二月の初めに、初めてこういう来信があつたのであります。
もう一つは、北多摩郡におりますところの某という長年帰還を待つております母親のところに、満州の鶴岡炭鉱におりますところの未帰還むすこから、二月の初めに、初めてこういう来信があつたのであります。
前にさかのぼりますが、三江省の鶴岡炭鉱というのがあります。ソ連から引揚げられた日本軍隊で、今もつて健康な者は鶴岡炭鉱等には大分入つたと聞いております。また済南地区でありますが一済南地区ば、私が單身引揚げ運動をやつたときに、長井という中共の銀行関係に働いておつた人ですが、この人が天津におりまして、済南地区の十何名かの日本人の引揚げ問題につきまして、私のところに盛んに連絡に参りました。
鶴岡炭鉱の例をとりますと、今いろんな仕事のきまつてないような人を炭抗夫としてどんどん送り込んでおります。はるかに千人を越しておると思います。それは各地の日本人団体をここにどんどんほうり込んでおります。そういう日本人がどういう結果かと言いますと、ほとんどさつき申しました功臣的ないろんな各掘鑿方法をいろいろ案出したり、考案したりして、どんどん業績を上げているのです。
その四万については私の方では現在のところ握つておりません、と同時に二十三年三月に入つて、先ほど鶴岡炭鉱の方に行かれたという証言をしておられます。実は昨年九月に鶴岡炭鉱から帰りました人がおりますが、自分も実はそのときに舞鶴にも行き、またこちらに帰つて参りましていろいろ調査したのですが、鶴岡にはそういう気配の人がいない。
その内訳といたしましては、牡丹江地区辺にも百、仙洞に五十、それから鳳山炭鉱に七十、難西に千三十、東安に千五十、佳木斯三百、鶴岡炭鉱千、その他千八百という、合計六千になるのでありますが、このうちの炭鉱には、先刻申しました病弱者として捕虜になりました者が、殆んど大部分が炭鉱に向けられたのでありまして、現在重労働に従事いたしております。
牡丹江省及びその周辺に七百、それから仙洞五十、鳳山炭鉱これは七十、それから難西淡鉱千三十、東安これは附近も含みまして千五十、佳木斯三百、鶴岡炭鉱千、その他八百で、以上は概ねであります。合計して六千であります。
山崎英三、この人は奉天、現在やはり品川区、清川時次、これは鶴岡炭鉱、現在熊本県に住んでおられますが、遠い方は御遠慮して頂いて、できるだけ近郊の人を選ばれて、殆んどこれに推薦して来られた方は現在東京都内に住んでおられる方々であります。共産党の方とだぶつておる方もありますので、一応この選考につきましては、先程岡元委員の提案されたように、選考のあれを御委任願えれば選考したいと思います。
なお指名されない、帰るときに選に漏れた人が引揚げを聞き伝えまして、奉天に集まつたようなこともあつたようでありますが、こういう方々はいわゆる不半分子として鶴岡炭鉱、これは満洲の北の方にありますが、ここに送られたというような悲劇もあつたと言われております。